セックス管理帝国・ナチスドイツ!
From:DENNY喜多川
アドルフ・ヒトラーは第三帝国・ナチスドイツを建国し、すべてを支配し、管理下に置こうとした。
それは人間にとって最もプライベートな領域である、セックスに関しても例外ではない。
ヒトラーのゲイへの恐怖
ヒトラーがゲイ及びバイセクシャルの男性を激しく憎み、強く迫害したことはよく知られている。
(副次的にレズビアン・バイセクシャルの女性、その他ジェンダーの人々も迫害された)
表向きは、
「ゲイは国家の基礎である繁殖に関与しないので弾圧する」
ことになっていたが、実は極めてプライベートな理由があった。
ヒトラーは、ゲイに暗殺されかかった(少なくともそう思い込んだ)ことがあったのである。
ヒトラーとレームの怪しい関係
ナチス躍進時期のドイツ政界は、一言で言って戦場だった。
比喩ではなく、物理的な暴力が飛び交う戦場だったのだ。
最初に暴力を政治の道具としたのは、ソビエト連邦と強い繋がりを持つ共産党であったが、対抗上、ほとんどの政党が暴力を行使するようになった。
ナチスの武装組織は突撃隊と呼ばれ、当然のことながらガチムチの男たちにより組織されていた。
ガチムチの男たちが、戦場で強いストレスに曝されていれば、当然の帰結として同性愛に走るのは歴史的な事実(偏見)である。
そのリーダーであるエルンスト・レームは、自身が同性愛者であることに誇りを持ち、公然と標榜していた。
しかし、これは「ドイツ民族の再興」を掲げて政権を奪取したヒトラーにとっては、極めてマズいことでもあった。
同性愛者の排斥を公約に掲げるナチスの武装組織のリーダーが、ゲイを公言しているのである。
これによって、かつては互いを「Du」(お前)と呼び合うほど固かった2人の絆(どこまでのものだったのか深く妄想してみたい)に亀裂が入った。
そこにナチスの一部の幹部たちが、「突撃隊によるクーデター及び、総統暗殺計画がある」との噂を流したのである。
ヒトラーはこの噂を完全に信じたわけではなかったが、対処する必要に見舞われた。
そして、1934年6月30日から、突撃隊に対する粛正が開始される。
捕らえられたレームは自決用の拳銃を渡されるが拒絶、射殺された。
最後の言葉は
「我が総統……」
であったと伝えられる。
その後のナチスの同性愛者迫害政策
ここからそれ以前から始まっていた、同性愛者たちに対する弾圧はさらにエスカレートしていく。
最大で十万人以上が同性愛者として逮捕され、刑務所や強制収容所に送られ、危険な作業や作戦に従事させられ、薬物や外科手術による去勢を受けた。
収容所で死亡した同性愛者の数に関する統計は残っていない。
伍長閣下のアーリア人繁殖計画
アーリア人至上主義を唱えたヒトラーは、同性愛だけでなく、異性愛をも管理下に置こうとした。
ドイツ再興のためには、劣等民族を絶滅させると同時に、アーリア人を積極的に繁殖させなければならない。
(正しい血統の)女性は、(正しい血統の)男性と若いうちに結婚し、可能な限り多くの子供を産むことが奨励された。
もちろん、スローガンだけでは実現できないことであるから、ナチスは実力行使に出た。
正しい血統の若い男女をキャンプに連れ出し、不純異性交遊を奨励したのである。
キャンプに行った少女たちは
「これはドイツ民族のためである」
と固く信じていたから、経験や妊娠を嬉々として両親に報告、卒倒する両親が相次いだという。
誰も彼もが真剣な関係を持つわけではないから、結構な数の父親のわからない子どもが誕生することになった。
しかし、純血種であることは確実なので、シングルマザーたちは手篤い福祉を受けて、子育てに専念した。
とはいえ、大抵はきちんと責任を取って結婚したようである。
生まれた子供たちも、男子は良き兵士に、女子は良き母親になることを期待されて育てられた。
ナチスドイツは、ドイツ人らしい完璧主義で、最もパーソナルな領域であるセックスを管理しようとしたのであった。
ナチスドイツ崩壊後、彼(女)らが新しい価値観に適応するのには、かなりの困難があったようである。
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