From:DENNY喜多川
戦前の日本を震撼させた、「津山三十人殺し」という事件がある。
岡山県を舞台に、都井睦夫という青年が、一晩で集落の住人のほとんどを虐殺し、自殺したという惨劇だ。
この事件は、映画化もされた横溝正史の小説『八つ墓村』のモチーフとなったことでも知られている。
だが、実はこの惨劇の影に、戦前の夜這い文化と、ムラ文化があったことはあまり知られていない。
Contents
惨劇の主は、都井睦夫という男…
都井睦夫は1917(大正6)年3月5日、現在の津山市に生まれた。
幼くして父母を亡くして祖母に引き取られ、6歳のときに、惨劇の舞台である貝尾集落に引っ越す。
睦夫は頭は良かったが、祖母に上の学校への進学を反対されて断念した。
しかも、尋常高等小学校を卒業後、肋膜炎を患って農作業を禁止され、日々を無為に送るようになる。
つまり、今で言うニートだ。
現代のニートはSNSで時間を過ごすが、睦夫は小説を書き、近所の子供たちに読み聞かせることで日々を過ごした。
だが、現代のニートと一番異なるのは、集落に夜這い文化が息づいていたことである。
残っていた夜這い文化
江戸時代には一般的だった農村の夜這い文化は、明治に入って家父長制が法律で施行されると、次第に失われていった。
しかし、中国地方では、比較的遅くまで夜這い文化が残った。
この貝尾集落もそういった場所の1つである。
現代のニートなら、エロゲをやりながらオナホで抜くのが精一杯であるが、そこでは「若い男性」であると言うだけで、性の対象であった。
その村の夜這いが、未婚女性のみに認められたものか、既婚で子持ち、あるいは未亡人に認められたものか、もっとフリーダムなものであったのかは定かではない。
とにかく、睦夫がセックスに不自由しなかったことだけは確かである。
共同体からの阻害
しかし、その状況が一変する出来事あった。
睦夫は徴兵検査に不合格となったのだ。理由は結核であった。
こうなると、集落の女たちの態度は一変する。
「えー、マジ? 徴兵検査に不合格?」
「夜這いが許されるのは、甲種合格だけだよねー」
「キャハハー、マジキモーイ!」
みたいなやり取りがあったかどうかは定かではないが、睦夫は一転して、女たちからまったく相手にされなくなった。
もともと引き籠もりがちであった睦夫は、そうなるとさらに引き籠もることになる。
童貞も辛いが、セックスの味を知っているのにできないのもまた辛い。
恨みを胸に…睦夫・大改造!
ここから事態が映画『タクシー・ドライバー』化しはじめる。睦夫は、集落の女たちすべてに対する復讐を決意したのである!
まず、睦夫は、肉体改造に乗り出した。
高価な栄養剤やトレーニング用具を取り寄せ、日々をひたすら肉体改造に過ごしたのである。
幸い睦夫の祖母は小金持ちで、睦夫は金の心配なく肉体改造を続けた。
いつしか結核も完治し、睦夫は強靭な肉体を手に入れたのである!
決行準備
筆者は、これは悲劇だと思う。
もはや睦夫は超人となった(どのくらい超人かは、彼の殺戮スコアを見ればわかる)のであるから、あらためて軍に志願すればよかった。
軍人となれば、彼を蔑んだ女たちも彼を見直し、再びセックスを手に入れることができたかもしれない。
しかし彼は、当初の計画に固執した。
祖母の財産は肉体改造で使い果たしてしまったので、自宅や土地を抵当に入れて現金を作り、猟銃を手に入れたのである。
猟銃のみならず日本刀などの凶器を準備する姿を見て、さすがに祖母も「これはヤバイ」と気がつき、警察に通報する。
凶器一式は押収され、猟銃免許も取り上げられるが、睦夫の執念は消えず、再度猟銃や日本刀を手に入れ、決行に備えた。
そして、1938(昭和13)年5月21日未明、ついにその時が来た。
そして、歴史的な“大虐殺”が起こった…
睦夫は一時の激情に任せて大暴れするタイプではなかった。
だが、結果的にそれがこの悲劇の規模を大きくした。
睦夫はまず、電話線と送電線を切断、集落を停電させる。
しかし、戦前の日本では停電は珍しくなかったので、怪しむ者はいなかった。
詰め襟の学生服に、軍用のゲートルと地下足袋を身につけ、頭にはハチマキを巻いて、小型の懐中電灯を2本、鬼の角のように結わえ付けた。
首からは自転車用のナショナルランプを提げ、腰には日本刀一振りと、匕首二振りを付けて、手には改造猟銃を持った。
まるで、『タクシー・ドライバー』のデ・ニーロさながらにキメキメのスタイルである。
睦夫はまず、同居の祖母の首を自宅の斧ではねて即死させ、それから集落全体の虐殺をはじめた。
死者28名、重傷5名(うち2人はすぐに死亡)。
凄惨過ぎる虐殺の中で、ある女中に猟銃を突きつけながらも、
「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」
と見逃したのが、心に残る。
大虐殺を終えて…睦夫の最期
1時間半におよぶ大虐殺を終えた睦夫は、隣の集落の顔見知りの家を訪れ、遺書用の鉛筆と紙を借りた。
去り際に子供に
「うんと勉強してえらくなれよ」
と声をかけたのが、睦夫の最後の会話であった。
睦夫は長文の遺書を遺し、猟銃で自らの心臓を撃ち抜いて自殺した。
睦夫は重点殺害対象であった、特に睦夫を馬鹿にした女性を取り逃がしており、
「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」
と、遺書に後悔の言葉を遺している。
まとめ
「実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生まれてこよう」
遺書に遺された言葉からは、「一人前の男性として扱われないこと」に対する、強烈なプレッシャーが見え隠れする。
戦前の日本を支配したマッチョイズム、夜這いはその強化装置だったのかもしれない。
セックス(の欠落)は、ときに男性を大量殺人にまで駆り立てる。
しかし、男性が悪いのでも、もちろん女性が悪いのでもなく、セックス(あるいはパートナー)の欠落を人格の欠落とみなす、文化こそが悪なのである。
現代でも、秋葉原連続殺傷事件が起きた。
日本の文化は、まだこの悪を矯正し得ていない。
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