From:DENNY喜多川
ハリウッドではじまった、「me too」運動をきっかけに、
「セクハラに対し沈黙しない」
運動が巻き起こり、日本でも官僚や芸能人によるセクハラが次々と告発されている。
特に、テレビ朝日の女性記者が、財務省の事務次官にセクハラを受けた事件では、「官僚」「マスコミ」「政権与党」「野党」のすべてに、人権感覚がないことが明らかになるという絶望っぷりである。
そもそも「セクハラ」自体が極めて近代的な概念であり、たとえば江戸時代の日本では、「道を行く女性のお尻をつねる」ことがナンパだったりした。
過去の出来事を、現代の倫理観で裁くことは、決して妥当とは思われない。
とは言え、かの有名な『源氏物語』に描かれた出来事の数々は、あまりに女性の人権を侵害している。
彼女たちに代わって行う、筆者からの告発だ。
Contents
光源氏と紫の上
『源氏物語』では、主人公である光源氏自身が、何度となくセクハラやレイプに及んでいる。
その中でも一番ひどいケースが、紫の上に対する行為であろう。
ご存知のとおり、光源氏はまだ幼い紫の上を引き取った。
不幸な身の上の彼女を救い出した、という側面があったのは事実だが、実際のところは
「初恋の人である藤壷の姪で、面影がよく似ていたから」
というのが本当の理由だ。
しかも、祖母の死により父親に引き取られるはずだった彼女を、略取誘拐したのである。
紫の上は源氏を慕っていたが、それは「父親のような存在として」であったし、光源氏がそれを理解していなかったとも思えない。
にも関わらず、紫の上がある程度成長すると、源氏は紫の上をレイプしたのである。
あまりの衝撃に引き籠もってしまった紫の上に対して源氏は、
「そんな風に引き籠もっていたら、人が変に思うではないですか」
継子や実の娘をレイプし、翌日何事もなかったかのように家族の前で振る舞うよう強要する虐待親と、光源氏の何が違うのであろうか。
そのあと、紫の上は正妻・葵の上を失った光源氏に、正妻同様の扱いを受け、子の養育も任される。
しかし、源氏は女三宮との縁談を断らず、紫の上は「自分が妾に過ぎない」ことを思い知らされるのである。
晩年の紫の上はひたすら出家を願うが、源氏はこれを許さず、紫の上は悲嘆の中に亡くなる。
このとき、はじめて源氏は、自分がどれほど彼女に依存していたかに気がつくのである。
……これ、「セクハラ」でなく、「虐待」ですよね?
紫式部と藤原道長
『源氏物語』がセクハラに満ちた物語になったのは、現実の宮廷社会がセクハラの温床だったからである。
作者・紫式部も、それから逃れることはできなかった。
『紫式部日記』に、以下のような一節がある。
「わたしが寝た夜、一晩中藤原道長に戸を叩かれた。恐くて、じっとして、そのまま夜が明けた。あのとき、戸を開けていたらと思うとゾッとする」
藤原道長と言えば、
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
の句を詠んだことで知られる、絶対権力者。
しかも、紫式部が仕える皇后・彰子は道長の娘であり、そもそもこの就職を斡旋したのは道長である。
このような権力関係の中で道長の誘いを断るのは、どれほどの勇気が必要だったことであろうか。
「紫式部と藤原道長は関係があった」説を採る研究者も少なくない。
だとしたら、「部屋には入れなかった」と日記に書き記したその晩、実際には式部はレイプされていた可能性もある。
「部屋に入れなかった」と日記に書き記したのは、式部のせめてもの抵抗だったのかもしれない。
まとめ
もっと言えば、日本の歴史でも、(たいていの国の歴史がそうであったように)戦火があったときにはほぼ常に、敗者側の女性はレイプされた。
それどころか、そのまま奴隷とされ、こき使われたり、外国に売り飛ばされたりしたことも少なくなかった。
平安時代の日本の人権意識が、ほかの国と比べてそれほど劣っていたと言うことはない。
しかし、紫式部が、「理想化された現実を描く」はずの物語の中で、あえて多くのセクハラ描写を入れ込んだことに、筆者は紫式部からのメッセージを感じずにはいられない。
「女性がこのように扱われるのは、間違っている」
女性がこの言葉を堂々と口にできるようになるまで、およそ千年の時を要した。
この時計の針を逆戻りさせてはならない。
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